アルファロメオの思い出 その3

 GTA1300Jrは白いボディにグリーンのライン、クローバー、ビショーネといういでたちで
故ジュゼッペ・キャッパリーニ氏のもとより、はるばる日本へやってきました。 
どういう使われたかをしていたかは不明ですが、自動車税に該当する支払いの証明書が
長年分付属していましたし、写真で見た限りナンバーも付いていたようです。
(来日の折には当然外されていましたが)
塗装などはあらためて施されたのでしょうが、綺麗な状態でした。
既にエンジンはある程度のチューニングがされていました。
CRBBなどはなく、他は外観ともノーマルな状態でした。
特に問題はなかったので、すぐに登録を済ませました。

 到着してからは思いのほかスムーズに乗り出すことができました。やれやれでした。
早速乗ってみました。エンジンのチュ−ニングはややピーキーな設定で
通常の使用でも3000以下では加速しない状態になってました。
その代わりに4000からはタコメーターは跳ね上がり、うっかりするとメーター読みで
10000近くまで回っていました。大丈夫かな?と思いつつ痛快でした。
クラッチの反力も強く、第一印象は結構手強いかな?という感じでした。
通常の105系よりも回頭性が高いことも感じました。内へ切れ込む感じがしました。
Aアームが数ミリ短いとか、上屋が軽いせいなんでしょうか、すぐに慣れましたけど。
少々おっかなびっくりの乗り出しではありましたが、大いに気に入りました。
早速、最初のドライブで左リアのクォーターウィンドウが落っこちましたけど(笑)。



 イメージとはうらはらに(どんなイメージなんだ!)程度が良く
特に機関などは全く問題ない状態だったので早速タイアを手配しました。
当然アウトデルタ(勿論ホンモノで)が欲しかったのですが、全く情報がなく
当時あったレプリカ(GTVに履いてました)は結構重くて、そぐわない気がしたので
デザインはともかくモモ・コルサ(15インチ・7J)にしました。
本来アルフェッタ系用でPCD98ですが、少量108も作られたものが手に入りました。
似合うとは言えませんでしたが、大変軽くラリー用で強度もあると思われたのです。
次にバンパーを外しましたね。これでボンネットの大型ビショーネの睨みも効いて
随分それらしく戦闘的になりました。グリップも強く随分軽快になったと思いました。

 スッドのことなんですが、気に入ってGTAが来た後もしばらく乗っていましたが、
 やはり経済的な負担も大きくどうしようかなと思っていた矢先、
 買いたいという話を貰って見せに行ったんです。その時は決めかねていましたが、
 試乗した人が駐車場でバックでスッドの正面に軽クラッシュしてその場で売買成立、
 唖然としたまま思いがけぬ別れになりました。


 印象どおりほとんどトラブルはなく、暇があると乗っていました。
メリハリの効いたセッティングもすっかり慣れて気持ちよく走れるようになりました。
それはそれは楽しかったですね。ほとんどアシ状態で使用していましたが、
アゴも出さずによくもったなぁと思います。今同じことをやる勇気がないですね。
ミニサーキットのジムカーナやサーキット走行会にも行きました。

夕暮れの鈴鹿で 


左の2枚は仮ナンバーです。初乗りの時。

トップスピードこそ伸びませんがコーナーが連続するところではそこそこで
富士では323i相手に直線で抜かれてウラで抜き返しを繰り返して自己満足に浸ったり
あっちこっちでよく走りました。ま、私のレベルですから当然といえば当然なんですが、
行き帰りも含めてまったく音を上げなかったのは感心でした。



 このころ少々古いクルマが静かに流行りだして、並行輸入だとかなんかで
部品、車体のレアな物もいろいろ入ってくるようになりました。
GTAにも当初からの希望だったアウトデルタのホイールも手に入りました。
レプリカではないので、結構な厚みがあり、チューブが必要で、バランスも
取り辛かったようですが、なんとか使用に耐えるレベルでした。
エアクリーナーも取り外しインダクション・ボックスを取り付け
他にもタコメーターをクロノメトリックにしました。
でも雰囲気だけのつもりでしたが、実際はチラっと見たときに針が止まっているので
結構ありがたく、以外に役に立つもんだと思ったりしました。
ステアリングは純正のヘルボーレから同小径に変更しました。
ボスはもともとの物で大丈夫と思っていたら、穴の位置がわずかに違ったりしました。
クロスミッションも装着しました。パワーバンドが狭いので高い回転を保たないと
車速がスグ落ちてしまいましたが、常用では随分楽になりました。
アウトデルタ製のバケットシートも装着しました。FRP製で狭いことも狭いんですが、
サイドが深く折角の4点式が効かないのには閉口しました。
体格のいい人を乗せるとバキバキ音がするので、気が気でなかったですね(笑)。



 ご存知の通りGTAには1600、1300(Jr)があります。双方アルミボディですが、
 先にデビューした1600のほうが軽いようです。ただ剛性不足だったようですね。
 Jrでは強化されたのか実際に重くなってます。フロント以外アクリル対ガラスと違います。
 タコ足、ノンスリは標準で、デフにはCRBB取り付け用の窪みがあります。
 オイルパンはディープでオイル交換では7〜8リットル必要でした。
 しかもドレンコックが路面に擦ってしまうので何度か交換しました。
 Jrは1600のショートストロークです。(モントリオールもそうだったっけ?)
 プラグは8本、斜めに入るのでネジ山をナメやすいので注意が必要です。
 また、頭を振ってくれるタイプのプラグレンチでないとフロントの1本が締まりません。

 
 そんな風に好きなように乗っていましたが、少し煙を噴出し初めました。
それまでヘッドを開けることはなかったのでOHをすることにしました。
カムが速い・遅いの組み合わせで、コンロッドが削ってあったり
バランス取りなどをした痕跡以外はノーマルでした。
強化バルブスプリング、ハイコンプピストンなどを新たに組みOHしました。
結果更に切れ味がよくなった気がしました。
ただ、他の人には少々乗りにくいモノになってしまっていたようですが(笑)。



 そんなことで更に結構な時間を楽しませてもらっていました。
既に分割払いも終了していたころ、世の中はバブル景気と言うころです。
GTAのような車までが投機の対象になってしまったのか、妙なことになってきました。
とんでもない値段で取引されるようになっていました。
わざわざ交渉に来る人もやってきました。ある種の気楽さがなくなって重くなりました。
車検が切れましたが、少しそのままにして乗らずにおきました。

 空前の好景気も収束し世間では一部痛みを伴いながら後始末が始まりだしたころ、
所謂「家庭の事情」があって、やむを得ず手放さなくてはいけなくなりました。
既に趣味のクルマの値段は本来の価格に戻りつつありましたが
それでも買ったときの倍ほどの価格で引き取られていきました。

 話は少し戻りますが、このころもう一台ありました。
1750GTVです。友人が長らく乗っていたものでした。
このころ1750は一番荒れていた時期ではなかったでしょうか?
程度のよいものは殆ど見かけることはなかったと思います。
友人の1750はヤレてはいましたが、ノーマルの状態を程よく保っていました。



バランスの良いスタイルとパフォーマンスでしばらく楽しめましたが
当時2台の維持はキツく、残念ながら上記のGTAのエンジンOHの際に止む無く手放しました。
今考えるとちょっと惜しかったと悔やまれます。

  

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