2010イタジョブにはザガートボディが
アルファがSZ、SZ2、2600SZとJrZ(2台)それにランチア・フルビア・ザガートと集まりました。
 
 その中から2台の黄色いJrZ

 1969 アルファロメオJrZ

 JrZは1969〜72の1300(1108台)
72〜75の1600(402台)とありますが、この2台は1300です。
外観上の識別は1600はちょっとお尻が伸びたデザインになってます。

 ジュリア系ではありますが、ベースに使っているシャシーはスパイダー用
ですからジュリアクーペ、セダンよりはホイールベースがちょっと短い。
 
 コンペティションモデル、ではなくスペシャリティですから
ハイライトはそのスタイリングといっていいと思います。
 
 60年代から70年代への過渡期、丸い形からシャープな直線とエッジへ
そのちょうど折り合いのついているようなところがとてもいいですね。



 
 スペシャリティらしく内装も専用のものですし
大きいリアゲートにはベンチレーションを兼ねて
また実用的な荷室へのアクセスを容易にするために電動で少し開くようになってます。
 


 
 2台のうちマスタードイエロー(っていうのかな?)は
JrZのイメージカラーでもあります。
 実はこの個体はシャシーナンバーが3番、ということでプロトタイプみたいなもんでしょうか
生産型とはちょっとずつ違う点がありました。
 
 
 ジュリア系には違いありませんが着座位置が少し低く
ダッシュの形状も違いますから運転席からの眺めはノーズが長く感じ違って見えます。
シフトレバーがジュリアクーペ、セダンより斜めに感じるのも座席のせいかもしれません。

小さくて格好の良い2人乗りのクーペ、それでいて意外に実用的でもあります。
ひとつ欠点を上げるとすれば、ヘッドライト、でしょうか。
ショーモデルの評判が良くてそのまま生産したらしく
フロント全面を覆うアクリルのカバーもそのまま生産車に採用されたんですね。
これのおかげで光が拡散して比較的暗いんですよ。

 でもこれがカッコイイわけですから、許せますね。






1981年 アルファスッドti    1976年 アルファスッド・スプリント1.3


 国営会社だったアルファがイタリア南部の雇用対策のために
1972年ナポリ郊外に工場を建てて生産を始めたのがアルファスッド
スッドはイタリア語で「南」、またこのときからアルファのエンブレムのMILANOが消える。 

 いわばスッドの生産は国策だったわけですが、
当時労働争議が特に激烈だったナポリあたりですから状況は厳しかったようで
労働者の技術的な質、意欲に問題を抱え、加えて当時のイタリアの鉄鋼不足に起因して
値段は安いが質の低かったソ連製の鉄板を使用したことが災いして
スッドの工業製品としての評判は芳しくありませんでした。
 
 いわく・・・ドアがガタガタ言うからバラしてみたらコーラの瓶が出てきた
新車に腰かけたらフロアが錆びていて床が抜けてしまった・・・とか。

 また日本では74〜76に輸入され(1.2モデルのセダンとti)一時排ガス規制の対応のため休止
78よりスプリント(1.3→1.5)、セダンとti(1.5モデル)が輸入再開されましたが
その初期に自動車雑誌CGが長期テストで購入、しかしこれが2年の間にあちこちに錆が発生
 
 また1.5の4ドアを同編集長小林彰太郎氏が購入(1980)した時にも
タイミングベルトを破損、バルブ・ピストンを損傷するトラブルに見舞われました。
輸入再開後のこの時期のモデルは工作の質も通常レベルには充分引き上げられて
内装の質も向上し当初の錆の問題も改善されていた、にもかかわらず!
 
 そういうわけで日本の自動車好き、特にアルファなんぞ購入しようという層が
当時のCGの読者層とカブることもあってスッドはマイナスイメージが付きまとうことになりました。
それにアルファにFFなんて・・・と、いう意見がまかり通っていたころでしたし
 

 しかし、その反面
 
 スッドの開発者、ルドルフ・ルスカ
フェルナンド・ポルシェ博士の元で働き、さらにVW、チシタリア
それでもってチシタリアでの同僚カルロ・アバルトとともにアバルトを創業
 
 このような経歴を持つルスカの設計のアルファスッドが悪かろうはずがないわけで
水平対向の4気筒はストレスなく吹け上がるし
その足回りときたら、これこそオン・ザ・レールというもので
アルファらしくロールしながら接地感は失わない、特にリアは特筆モノです。
当時ヨーロッパでは「価格を問わずにハンドリングに優れた5台のクルマ」に選ばれてます。
たとえショボいタイアであってもグリップに頼らない設計でほぼ影響なし
 
 ダンパー長は大変長く倒立して装着(コニなどの社外品は正立になります・漏れそうだもんね)
ダンパ−長を確保するため下部の取り付け位置をビームに穴をあけてとか、
インボード・ブレーキ(しかも対抗ピストン)の採用とか、
前後方向の位置決めにワッツリンクの採用とか・・・
 
 はっきり言ってこのころのアルフェッタとスッドあたりは
設計思想が近似していて、いわばコスト度外視のエンジニアのやりたい放題ですね。
さすがはコスト管理に甘い国営企業、今なら仕分け作業の先鋒間違いなし。
後継のアルファ33になるとコストダウンされダンパー長がずいぶん短くなったり
インボードブレーキを廃止、リアもドラムブレーキだったりします。
 
 と、設計一流、工作三流(ある時期まで、のハナシなんですけどね)
まともに乗ったことのある人だったら設計一流の部分をわかってもらえるけど
そうでなければ誰でも見ればわかる工作三流の部分しかわかってもらえない。




 このtiのほうはスッドのもう一つの美点、優れたパッケージングそのままのモデル
tiは2ドアモデルですが中は広く大人4人がリラックスできるスペースがあります。
 1980年以降のシリーズ2ですから内装もしっかりしてます。
これがスッドのデビューだったら悪い評判もたたなかったのになぁ・・・。




 スプリントのほうは、そのスッドに当時のトレンドになっていた直線的な
スタイリッシュなデザインのボディでスペシャリティの要素が高くなってます。
初期の低速トルク不足の改善のためにストロークを延長し1.3となってますね。
たしかヘッドライト用のくるくる回るワイパーもOPで存在しました。
 ワタシの友人のスッドスプリント1.3には1.5のエンブレムが付いてきました(笑)
 
 ワタシが乗っていた当時、1.5ではパワーが勝って軽快感が薄れて
なんて言われましたが、今の交通事情だとちょうどいいくらいかも、タイアも良いしね。
それに1.2くらいだと登りではアドバンテージがないですからね。
スッドは下りの帝王、なんて言われてました(笑)

 一回乗ってみてよ、といってもいつの間にか個体は残り少なし。
でも機会があったら先入観なく乗ってみてくださいね。
 
 ワタシも最後に乗ったのはいつだったか・・・今乗るとどんな感じに思うのかなぁ。
 



 



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